| 小 説 コーナー |
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| サーキットの狼 |
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第一章 プロローグ
Rakky坊やは戦後まもなくして横浜・杉山神社のそばの支那ソバ屋で生まれました。 近所のガキ大将ではありましたが強きをくじ弱きを助けるという一心太助のようでした。 その5〜6軒隣に一回り年上のX西少年が住んでおりましたが、後に宿敵となろう事は夢だにも思いませんでした。 彼は杉山愚連隊に属しておりましたが、兄貴分の後ろをくっついて金魚のフンみたいで弱い者イジメ専門した。 また別の名をカメ西(出歯亀のX西の略) とも言われておりました。 第二章 街道レーサー 時が過ぎ、Rakky青年は明智大学へと進みました。 彼は自動車には興味が有りませんでしたが、同級生のヤマンタ君が通学時に自動車のことを教え込むのでした。 お陰で免許証を難なく取得し、サニークーペを購入する事になります。 やはり同級生で自動車技術研究部(後に本田技研の大幹部となる)のホンダ早一漏君が サニークーペに目を付け、Rakky青年をだまくらかして改造へと突き進むのでした。出来上がったマシーンは Rakky号と名付けられました。 一方、カメ西は正職に着くことなくポンビキや美人局で生計を立て、暴走族「本牧党」の一員となり改造車・スカイラインGTRを隠し持つのでした。深夜になるとスカGを 持ち出しては、伊勢佐木町商店街メインストリートを隊列をなして我がもの顔に突っ走るのでした。 本牧〜根岸の16号線も格好のサーキットと化します。勿論、赤信号でも突っ走ります。 深夜のタクシーなどは歩道に乗り上げて待避します。時を同じくしてRakky青年も夜な夜なマシーンの性能を チェックすべく挑戦者探しに市街を流すのが常でした。いつも助手席にはヤマンタ君がいました。 面白いもので戦いを挑んでくる者が いつの間にか集まって来るものです。スーっと横に並びギヤーを ニュートラルにして空ブカシをします。ブオーン・ブオーン。 一丁ヤロウゼという合図です。すかさず此方も負けずにブオーン・ブオーン、目と目が合った瞬間に 一速にぶち込み猛発進 します。ほんの10秒足らずで決着が付くのですが、これがまた超快感で 止められないんです。彼らのことを人呼んで 街道レーサーといいます。街道レーサーには一匹狼が 多いのが特徴で、本牧党のように群ません。 いつしかRakkyの名が轟き渡り、カメ西が挑戦状を叩き付けてきました。 「○月○日、AM2:00第三京浜で決着を付けよう」。 ここは逃げるわけにはいきません、あの卑怯者のカメ西のことです、 何をするか分からないのでヤマンタ君には知らせずに 単身乗り込むことにしました。するとどうでしょう! 100台余りの本牧党員が殺気だってたむろしているではありませんか。 全てシャコタンで見せかけのロールバーが入りストレート・マフラーです。第三京浜下り線の2車線を使い 隊列を整えます。 先頭にはRakkyと本牧党頭領のオッコが並び、その後ろにカメ西達が続きます。 大きな本牧党の旗を持ったスターターが 前に出てきました。いよいよスタートです。 旗が振り下ろされ猛然とダッシュします。後方ではスタートに失敗した車に 次々と追突して半数近くが脱落してゆきました。流石に頭領のオッコだけあってスタートで Rakkyの先に出ました。 オッコはフルチューンのSR(フェアレディ2000)で引き離しに 掛かりますが、Rakkyはすかさずスリップストリームに入り込み バンパー・ツー・バンパーでピタリとマークします …が後方からカメ西のスカGがパワーに ものを言わせてにじり寄ってきて 我々の前に出ました。しかしそこはもはや第三京浜出口の ゲートに近く、急ブレーキを掛けますが300`近いスピードから のブレーキングで コントロールを失い横滑りをしながらゲートに激突しました。Rakkyとオッコは200`の スピードでゲートを すり抜けて行きます。三ツ沢の下りカーブにさしかかり巧みなドリフトで オッコをかわしたRakkyは国道1号線を南下しました。権田坂の頂上に来ると前方から両車線いっぱいに 2台のブルドーザーが此方に向かってきます。 このままだとブルの餌食になってしまいます。ヒール・アンド・トーで4速から1足まで素早く落とし、 強烈なスピンターンを掛け、後方のオッコをUターンしてスルリと交わしました。今度は前方から手下の車に 乗り換えたカメ西たちが見えたので、いすゞ自動車戸塚寮への脇道を駆け登り、本牧党をまいてしまいました。 第三章 サーキットの狼 30数年の時が流れRakkyは50歳を過ぎていました。 今ではすっかり落ち着いてホンダS2000でのツーリングが唯一の楽しみとなっていました。 そんなある日、本屋でふと目に留まったのが「ハイパーレブU」の表紙を飾った一枚の写真でした。 タイトルが「暴走よさようなら、サーキットよこんにちは」で、なんとあのカメ西とオッコの顔が大写しで 出ています。そして来週のFISCOでの走行会で挑戦者を募っているのでした。 Rakkyは早速エントリーをしました。三人は久々の再会を祝い、熱いバトルが繰り広げられました。 以後、この熱い戦いは繰り返されますが、いつしか人々は彼ら三人のことを サーキットの狼と呼ぶようになりました。 |
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| 「Akky's 7(アッキーズ・セブン)」 |
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| 某年某月、 Akkyは生きては出られないと言われる監獄「ザ・ロック」からの脱獄に成功した。 計画に加わった仲間はAkkyを含めて7人、CIAとFBIは彼らのことを敬意を込めてAkky's 7と呼んでいる。 Akky:正体不明、東洋人? デューク東郷の別名を持つ。 ヤマンタ:緻密な計画を練るのを得意とする香港系中国人で頭脳明晰でクール。 ゴリ:マダムキラ−イの威名を持つアフリカ人で爆破のプロ。 コースケ:シチリー島出身のイタリア人で超一流ハッカー。 ノリ:モンゴル人。モンゴル相撲のチャンピオンで格闘要員。 ベーオカ:中国深浅に居を構えるユダヤ人で世界各地に情報網を持つ。 ヨシミ:これといって取り柄のない日本人、何故か一緒に脱獄した。 第一章 脱獄 「ザ・ロック」とは絶対に脱獄など出来ない、させないという意味なのである。従ってここに投獄されるヤツらは、 アメリカが威信にかけても一生涯逃がしてはならない犯罪人たちなのである。 では何故彼らが脱獄できたのかは、後にショーン・コネリーが映画でその手口を披露しているので、 賢明な読者は其方を参考にしてほしい。獄中でもその筋で知られた者は一流同士で引きつけ合うもので、 このザ・ロックの中でも例外ではなかった。Akkyは何年も前から或る計画を持っていた。 その計画に必要なメンバーが彼らなのである。その計画を実行するには彼ら無しでは遂行できないのだ。 Akkyは彼らを集めるためにわざわざCIAに捕まったのである。案の定、ザ・ロックに投獄され、 まんまと脱走までやってのけたのだ。この脱獄だけでも一本の映画になるくらいだから、どんなに大変か想像がつくだろう。 実は、ここの刑務所長が曰わく付きの悪で、計画の上がりの10%の餌で手引きをしたのである。 成功すれば一生遊んで暮らせるだけの金額である。この所長は誰あろう、あのカメ西だった。 カメ西といえば日本では箸にも棒にもかからない極道者だが、さすがにアメリカは使い方を心得ている。 毒には毒をもって征せよか…。 第二章 モンテカルロ 某年1月、モンテカルロ…モナコ毎年1月にWRC(ワールド・ラリー・チャンピオンシップ / 世界ラリー選手権)の第一戦が、ここモナコで繰り広げられる。初戦のため、どの自動車メーカーも 必勝の態勢で望むので熱戦となり、ギャラリーの多さでも有名である。 雪道でのレースとなり、タイヤとスパイクの選択が勝敗の別れ目ともなる。このラリーに一台のホンダS2000が エントリーしていた。ドライバーはAkkyでコ・ドライバー(ナビゲーター)はヤマンタである。 これにサービス隊として重装備の三菱ふそうジュピター・ウィング仕様車だ。 荷台は大幅な改造が施されており、動く司令塔と言ったところだ。何と言っても主役はコースケでSTEPで作らせたパッケージに ハッカー用機材がビッシリと埋め込まれている。運転手は取り柄のないヨシミで助手席にはノリが座っている。 時を同じくして隣国のスイスにはゴリが潜入してい る。ICPOに追われているゴリがまんまと潜入できたのは、中国深浅からベーオカが欧州中のヤミ組織を 動かしていたからに他ならない。勿論インターポールの上級幹部をも黙らせているのだが。 モンテカルロ・ラリーがスタートした晩、ゴリはスイス銀行の前にいた。堂々と正面玄関を爆破したのだ。 しかもゴリの編み出した音のしない爆破技術で。一方、ラリーカーはモナコとスイスにまたがる チュリニ峠をカッ飛んでいた。サービス隊のジュピタートラックは、チュリニ峠をスイス側に大きく下っていた。 その中からスイス銀行のセキュリティーを解除し、ゴリの目に埋め込まれたカメラを通して貸金庫も難なく開けてしまった。 彼らの狙いは厳重に保管されている4個の超小型ICチップだったのだ。ICチップを鷲掴みにしたゴリは止めてあった スズキ・アルトワークスに乗り雪煙を巻き上げて走り去り、チュリニ峠下の村外れでアルトを捨て ジュピターに乗り込むのであった。4個のICチップはそれぞれ4本のスパイクタイヤの内側に取りつけられ ホイールに組み込まれた。そこにミスコースをした1台のラリーカーが来たのだが、 それはAkkyのS2000で素早く4本のタイヤ交換が行われた。 そしてこの2台はラリーコースへと復帰するのだった。そのころスイス銀行周辺は大騒ぎで警察の検問が 至る所で行われていたが犯人は捕まらず、結局ラリー参加者も取り調べを受けることになった。 特殊金属探知器でICチップを探し始めたが、スパイクピンとICチップの材質を合わせて おいたのでチップが見つかることはなかった。ラリー関係者の検査が終わりかけた頃、サービス隊の方が騒がしくなった。 ゴリの正体がバレてしまったのだ。ノリが警官隊を千切っては投げ千切っては投げしているのだが、一人で1000人を 相手では勝ち目が無く、とうとう4人とも捕まってしまった。当然Akkyにも火の粉が掛かるわけで、ここは逃げの一手である。 ラリーカーS2000に飛び乗ったAkkyとヤマンタは雪の山道へと突き進むのであった。 流石にヤマンタのナビゲーションは鋭く完璧かに思えた。が…、警察はワークスラリーカーで 追いかけてきたのである。しかもドライバーはマキネン、サインツ、マクレー、オリオールの面々だ。彼らはラリーより面白がり、 猛烈なドリフト合戦を楽しんでいた。15分もするとワークスドライバー連中に追いつかれ、手に汗握るバトルとなり、 3時間後に運転操作を誤ったS2000は谷底へとまっしぐらに転落してしまった。 ここは丁度、グレース王妃が転落死をしたカーブだった。後にこのコーナーをAkkyコーナーと呼ばれるようになる。 群馬県赤城山にも似たような名前のコーナーが有るのだが…。警察の必死の捜索にもかかわらず、Akkyとヤマンタは 発見されなかった。彼らは今も何処かで次の計画を練っているのかも知れない。そう、あなたの側で。 |
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| 「指揮官」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ゴリは名門スインラン高校の一年生ではあるが名三塁手であった。ところが夏の地方大会の決勝戦で あのRakky擁する横幅高校と激突し、平凡なフライを落球して大敗の原因を作ってしまった。 翌日、マスコミがゴリのエラーを大々的に報じる中ヤマンタ監督はゴリを二軍へと落としてしまった。 案の定ゴリは「落球のゴリ」とレッテルを張られたまま二度と這い上がれることはなかった。 それ以来ゴリは笑顔と明るさが消え失せ、しょぼくれた人生を送るのであった。ヤマンタ監督は腹いせや世間体で、ミスを犯した人間を 葬り去ってしまったのだ。なぜ制裁ではなく、挽回のチャンスを与えげなかったのだろう。失敗した人間は、何かで返したいと願って いるのに。一方、甲子園出場が決まった横幅高校は一回戦で徳島の包茎二高と対戦が決まった。 松坂の再来とまで言われたRakky投手が好投したが、タガヤス内野手が致命的なエラーをしてしまった。 彼はその夜、酔っぱらってボロボロ泣きながら「許してくれ」と土下座をして謝りまくった。Rakky投手はにこやかに彼の手をとり「来年こそ 打って返せばぁ」と慰め励ました。なんとヤマンタ監督との違いでしょう。挽回のチャンスを貰ったタガヤス選手は、 翌年の甲子園での優勝に向け大活躍したのは言うまでもありません。 部下の人生を一度のミスで終わらせないためにも指揮官は挽回のチャンスを与えるべきだ ということを、ヤマンタ監督は気付かないまま短い生涯を終えることになったのでした。 |
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| 「ノンバンク」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
SPETのRakky社長は今月の支払日に50万円足りなくなり金策に走り回りましたが、 左前になった彼には誰も貸してくれませんでした。追いつめられたRakky社長は、電話一本で即融資する (090金融)に手を出しました。ゴリと名乗る男が現れ「元金の返済はいつでも構いませんが、利息は毎週10万円 納めて下さい」。年利で1000%ですが、借入額が小さかったこともあり気にしませんでした。 トラブルが起きたのは一ヶ月後のことでした。社長が体調を崩し寝込んでしまったのです。 気になって自宅から男に何度も電話を掛けましたが、そんな時に限って一向につながりません。 すると夜になって男の方から電話があり、「借金を踏み倒す気か!」と怒鳴りつけてきました。 翌朝不安をだかえながら会社に向かっている途中に自宅から携帯に電話が入りました。 安子婦人は取り乱しながらも言いました、借金取りが家に上がり込んできたそうです。 しかも別の借金取りが、南お嬢様の通う学習院女子中学校にも現れていました。会社に着くと大混乱していました。 あちこちの仕入先から「うちの会社に怪しげな人物が来た、おたくは一体何をしたんだ」という電話がジャンジャンです。 真っ青になったRakky社長は男と連絡をとろうちしましたが電話はつながりません。 その時になって金融業者の住所を知らないことに気付きました。これが悪徳金融業者の手口です。自宅や取引先企業に 乗り込んでいながら、わざと携帯電話のスイッチを切っておき、借り手の不安をあおるのです。不安がピークに達した頃に 連絡を取れば言うがままです。その時も夕方になってようやくゴリから連絡がありました。 呼び出された場所に出向くとゴリは「違約金を合わせて300万円払え」と要求してきました。 「金がない」とRakky社長が答えると、金融業者の並ぶ雑居ビルを指さして「あそこで借りてこい」と言いました。 言われたとおりにした社長の手元には300万円の借金が残りました。 その後、社長は借金の返済のために別の金融業者からカネを借りることを繰り返し、 三ヶ月後には借り入れが2000万円を超え会社は自己破産に追い込まれました。 |